こんにちは。「あなたの知らない都市伝説の世界」管理人/都市伝説探究家のひかるです。1959年のロシア、凍てつくウラル山脈で起きたディアトロフ峠事件のマンシ族が犯人だという説について、あなたも気になって調べているところではないでしょうか。9人が不可解な死を遂げたこの事件には、舌の消失や放射能の検出など、あまりに謎が多くて、真相を知るほど背筋が寒くなりますよね。当時、地元の先住民族であるマンシ族による襲撃があったのではないかという噂もありましたが、最近の科学的な調査では新しい見解も出ています。この記事では、なぜマンシ族が疑われたのか、誠実に、かつ都市伝説好きの視点で現在考えられている本当の事故の原因は何なのか、私と一緒に深掘りしていきましょう。きっと読み終わる頃には、この世界のミステリーに対する視点が変わっているはずですよ。
この記事でわかること
- なぜマンシ族が初期の捜査で犯人だと疑われたのか
- 舌の欠損や放射能汚染といった不可解な現象の科学的説明
- 2021年の最新研究で判明した「雪崩説」の真実味
- 当時のソ連当局が情報を隠蔽したとされる背景にあるもの
ディアトロフ峠事件のマンシ族犯人説に迫る背景と謎

このセクションでは、ディアトロフ峠事件がどのような状況で発生し、なぜ地元のマンシ族に疑いの目が向けられたのか、その歴史的背景と不可解な現場の状況について整理していきます。当時のソ連の社会情勢も踏まえて、事件の異質さを浮き彫りにしていきましょう。
ロシアの山で起きた9人の不可解な遭難事故の概要
1959年1月、冷戦下のソビエト連邦。ウラル工科大学の学生や卒業生を中心とした男女10人の登山一行は、北ウラル山脈の難所「オトルテン山」を目指す過酷な遠征に出発しました。リーダーのイーゴリ・ディアトロフ率いる一行は、全員が熟練の登山経験者。しかし、出発から数日後、メンバーの一人であるユーリー・ユディンが持病の坐骨神経痛を悪化させ、泣く泣く一行を離脱することになります。これが、後に彼が「9人の仲間の中で唯一の生存者」となる運命の分かれ道でした。
残された9人がマイナス30度にもなる極寒の山で命を落としたのは、2月1日の夜から2日の未明にかけてのことだと推測されています。予定の日を過ぎても連絡がないことを心配した家族の要望により、2月中旬から大規模な捜索が開始されました。ボランティアや軍、警察が総出で捜索した結果、2月26日、一行のテントが「ホラート・シャフイル(死の山)」の斜面で発見されたのです。
その光景は、現場を訪れた捜索隊の誰もが絶句するほど異常なものでした。テントは内側から鋭利な刃物で切り裂かれていたのです。これは、外側からの襲撃ではなく、中にいた彼らが一刻も早く外へ飛び出さなければならないほどの「何か」に直面したことを示唆しています。さらに不可解なのは、氷点下30度近い猛吹雪の中、彼らは靴も履かず、下着に近い不十分な着衣のまま、1.5キロも離れた森の縁まで逃げ出していたことです。何が彼らをこれほどまでのパニックに陥れたのか、その謎がすべての始まりでした。
当時の気象状況と遠征ルートのデータ
| 項目 | 詳細内容 |
|---|---|
| 発生時期 | 1959年2月1日深夜〜2日未明 |
| 推定気温 | マイナス25度 〜 マイナス30度(強風を伴う) |
| 目的地 | オトルテン山(当時のグレードは最高難度のカテゴリーIII) |
| 生存者 | 1名(途中で体調不良により離脱したユーリー・ユディンのみ) |
聖域への侵入による襲撃を想起させた衝撃的な現場
事件が起きたホラート・シャフイル山周辺は、古くから先住民族であるマンシ族の狩猟地でした。彼らにとってこの一帯は生活の糧を得る大切な山であり、同時に独自の信仰が息づく特別な場所でもあります。事件現場の凄惨さが明らかになるにつれ、当時の捜査当局は「部外者がマンシ族の聖域を冒したため、報復として襲撃されたのではないか」という仮説を真っ先に立てました。
当時のソ連社会において、少数民族であるマンシ族は当局から監視の対象になりやすい立場にありました。テントがズタズタに切り裂かれ、熟練の登山家たちが衣服も着ずに逃げ出したという事実は、通常の野生動物の襲撃や自然災害では説明がつかないほど「恐怖」と「暴力」の影を感じさせたのです。実際に、現場付近には一行の足跡以外に見知らぬ足跡は発見されませんでしたが、それでも当局はマンシ族のハンターたちを拘束し、執拗な尋問を行いました。
マンシ族による襲撃説がこれほどまで根強く信じられたのは、遺体の損傷があまりにも激しく、まるで何かの見せしめや儀式のように見えたことも一因です。彼らが大切にしている猟場に、無断でテントを張ったことへの怒り。そんなシナリオが、混乱する捜査現場では最も「人間的で理解しやすい」犯人像として浮上したのです。しかし、マンシ族の人々は一貫して無実を訴え続け、自分たちもその場所を恐れて近づかないのだと主張しました。この「聖域への侵入」というテーマは、後に多くの都市伝説やオカルト説の土台となっていくことになります。
なぜマンシ族が疑われたのか
- 現場がマンシ族の伝統的な狩猟地であり、土地勘があるのは彼らだけだったから
- テントの切り裂き方が、刃物を使った人間によるものに見えたから
- 「死の山」という名称から、何らかの呪いや儀式的な意味を当局が邪推したから
- 当時の冷戦下の緊迫した社会情勢において、「外部の敵」を想定しやすかったから
遺体の舌や眼球が消失した凄惨な死の状況
春になり雪が溶け始めると、2月の段階で見つかっていなかった残りの4人の遺体が、テントからさらに離れた谷底の雪の下から発見されました。その姿は、先に発見された5人よりもさらに凄惨で、科学的な常識を疑いたくなるほどの凄まじい損傷を負っていました。検死結果によれば、彼らのうちの数人は「自動車にはねられたほどの強い衝撃」を体に受けていたことが判明したのです。
特に衝撃的だったのは、20歳の女性メンバー、リュドミラ・ドゥビニナの遺体でした。彼女の舌は根元から消失しており、口の中には大量の出血の痕跡もありませんでした。さらに、彼女や他のメンバーの眼球が完全に失われていたことも、この事件の不気味さを際立たせました。皮膚に目立った傷がないにもかかわらず、内側の肋骨が粉々に砕けていたり、頭蓋骨に致命的な亀裂が入っていたりする様子は、まさに「目に見えない巨大な力」に押しつぶされたかのようでした。
このあまりにも非現実的な損傷状況が、犯人像として「特殊な武器を持つ人間」や「未知の生物」を想像させたのは自然な流れかもしれません。しかし、現在の法医学的な視点で見れば、これらは遺体が長期間湿った雪の中に埋もれていたことによる軟部組織の腐敗や、小動物による食害、あるいは谷底の川の流れによる浸食で説明できる部分も多いとされています。それでも、当時の捜査官たちが「これは現代の医学では説明できない」と調書に記したほどの衝撃は、今もなお多くの人々に恐怖を与え続けています。
衣服に付着した放射能の謎と軍事機密に関わる疑念
事件を単なる遭難事故として終わらせなかった最大の要因は、犠牲者の衣服から検出された異常な濃度の放射能です。登山隊が持っていたセーターやズボンの一部から、なぜ放射性物質が見つかったのか。この事実は、ソ連当局が事件を早々に「抗いがたい自然の力によるもの」として幕引きを図ろうとした動きと相まって、強力な軍事陰謀論を生み出しました。
当時のソ連は冷戦の真っ只中であり、ウラル山脈の深部はミサイル発射実験や核実験の秘密拠点として利用されていたという噂が絶えませんでした。実際に、現場から数十キロ離れた場所に住む村人たちは、事件の夜に「空を飛ぶオレンジ色の光る球体」を目撃したと証言しています。この球体の正体が、実験中のミサイルやパラシュート付きの爆弾だったのではないか、という説は非常に説得力を持って語られました。一行がテントから逃げ出したのも、頭上で起きた爆発の衝撃波や、有害な化学物質、あるいは放射能汚染を恐れたためではないかと考えられたのです。
さらに、遺体の肌の色が「オレンジ色に変色していた」という目撃談や、当局が現場の調査資料を長年機密扱いにし、一般人の立ち入りを厳重に禁止したことも疑念に拍車をかけました。当局の捜査があまりにも杜撰で、かつ迅速に終了したことは、何か国家レベルの「不都合な真実」を隠蔽するための工作だったのではないかと、今でも多くの研究者が指摘しています。放射能の検出という事実は、この事件が単なる山の事故ではなく、国家の闇に触れてしまった結果であるという都市伝説的なスパイスとして、今日まで語り継がれているのです。
映画化もされた世界が注目する未解決事案の経緯
ディアトロフ峠事件は、1959年の発生以来、何十年もの間「未解決のミステリー」として世界中で注目されてきました。特にインターネットの普及以降、膨大な捜査資料や写真が公開されるようになると、その不気味なディテールが多くのクリエイターを刺激しました。2013年にはハリウッドで『ディアトロフ・インシデント』という映画が製作され、SFやホラーの要素を取り入れた斬新な解釈が話題を呼びましたね。
世界中のミステリー愛好家がこの事件に惹かれる理由は、その絶妙な「謎のバランス」にあります。自然災害、軍事実験、マンシ族犯人説、果ては宇宙人説やイエティ説まで、どんな仮説を立てても必ずどこかに矛盾が生じるのです。この「答えが出そうで出ない」感覚が、人々の探究心を刺激し続けてきました。ロシア国内でも、遺族による真相究明運動が長年続けられ、プーチン政権下でさえも再調査が命じられるほどの社会現象となっています。
長らく「抗いがたい自然の力」という曖昧な言葉で処理されていたこの事件ですが、2020年にロシア検察当局が「雪崩が原因である」との最終見解を発表しました。しかし、多くのファンや専門家は「それだけでは説明がつかない」と納得していません。現在では、単なるオカルトの枠を飛び越え、最新の雪氷学や物理シミュレーションを駆使した、極めてハイレベルな科学的検証の対象となっています。一過性のブームではなく、歴史に残るミステリーとして定着したこの事件は、今この瞬間も誰かが新しい真実を探し続けている、現在進行形の物語なのです。
ディアトロフ峠事件はマンシ族が犯人か科学的に検証

ここからは、かつて有力視されたマンシ族犯人説を科学的・論理的な視点から切り崩し、現代の科学が導き出した「真犯人」の正体について、詳しく深掘りしていきましょう。
雪崩の衝撃が原因とされる事故を裏付ける最新の科学
2021年、科学雑誌『Nature Communications』に掲載された論文は、60年以上の議論に終止符を打つ可能性のある画期的なものでした。スイスの研究チーム、ヨハン・ゴームとアレクサンダー・プズリンによるこの研究は、なぜ「なだらかな斜面」で「時間差」を置いて雪崩が起きたのかを物理的に証明したのです(出典:Nature Communications「Mechanisms of slab avalanche release and impact in the Dyatlov Pass incident in 1959」)。
彼らの主張によれば、一行がテントを設営するために斜面を切り崩したことが、雪の層の安定性を奪う引き金となりました。そこに、夜間に吹き荒れた強力な「カタバ風(下降気流)」が大量の雪をテント上部に運び込み、ついに限界を超えた雪の層が「スラブ雪崩(表層雪崩)」となって崩落したというのです。この雪崩は大規模なものではなく、わずか数メートルの範囲で起きた非常に局所的なものでしたが、その破壊力は凄まじいものでした。
最新のシミュレーションによれば、就寝中のメンバーの頭上に落ちてきた固い雪の塊は、自動車が時速数十キロで衝突した際の衝撃と同等のエネルギーを持っていました。これにより、彼らはテントの中にいながらにして致命的な骨折を負ったのです。当初、雪崩説は「斜面が緩すぎる」「遺体の怪我が重すぎる」という理由で否定されていましたが、最新の科学は、この特殊な条件下であれば、人間を粉砕するほどの衝撃が発生し得ることを証明しました。
最新研究が示す雪崩発生のメカニズム
| 要因 | 物理的な影響 |
|---|---|
| テント設営 | 雪の層の下部を切り出し、支えを弱くした |
| カタバ風 | テントの上に大量の「重い雪」を数時間かけて蓄積させた |
| 弱層の崩壊 | 積もった雪の重みに耐えきれず、深層の雪が滑り出した |
| 衝撃の大きさ | 横たわっていたメンバーの胸部や頭部に直接、重い雪の圧力がかかった |
犯人の痕跡がないことを示す足跡の調査結果と真相

マンシ族による犯行、あるいは何者かによる人為的な襲撃を考える上で、どうしても説明がつかないのが「足跡」の存在です。1959年当時の捜査記録によれば、テントの周囲には一行のメンバー9人分の足跡しか残されていませんでした。
もしマンシ族のハンターたちが一行を襲撃し、森まで追い詰めたのであれば、そこにはマンシ族特有の防寒靴「ピマ」の跡や、彼らが移動に使うスキー板の跡、さらにはトナカイが引くソリの跡などが残るはずです。しかし、雪の上に刻まれていたのは、靴下を履いただけの足跡や、中には裸足の足跡もあり、それらはすべて一行が自分たちの意志で(あるいはパニックで)歩いたものであることを示していました。さらに、テントの切り裂き箇所も、内側からのものであることが科学的に証明されています。
また、もし人間が犯人であれば、食料や貴重品、高価なカメラなどが盗まれるのが一般的ですが、現場の所持品はすべて手付かずのままでした。人為的な襲撃があったと断定できる物理的な証拠が、徹底的な捜査にもかかわらず一つも出なかったという事実は、マンシ族犯人説を完全に否定する強力な論拠となっています。犯人は人間ではなく、予告なく牙を剥いた過酷な「自然そのもの」だったという結論が、最も事実に即していると考えられます。
事件にまつわる不可解な疑問を解消するQ&A
ディアトロフ峠事件を語る上で避けて通れない、いくつかの「不気味なポイント」について、科学的な視点から回答をまとめてみました。都市伝説として語られる謎の多くは、実は極限状態における生理現象や自然現象として説明がつくものが多いんですよ。
ミステリーへの回答集
Q1. なぜ彼らは極寒の中、服を着ずに逃げ出したの?
A1. 理由は二つ考えられます。一つは、雪崩の直撃を受けてパニックになり、一刻も早くテントから脱出する必要があったため。もう一つは、重度の低体温症に陥った際に起きる「矛盾脱衣」という現象です。凍死の直前、脳の体温調節機能が壊れると、人は異常な暑さを感じ、自ら服を脱ぎ捨ててしまうことがあるんです。これが「裸足の遺体」の悲しい真相かもしれません。
Q2. 遺体の肌の色がオレンジ色だったのはなぜ?
A2. 多くの目撃者が語るこの現象ですが、実は「ミイラ化」の過程でよく見られるものです。極度の低温と乾燥、そして太陽の光に長期間さらされることで、人間の肌はオレンジ色がかった茶色に変色することがあります。また、彼らが食べていた栄養剤や防腐剤の影響を指摘する声もありますが、超常現象である可能性は低いと考えられます。
Q3. 軍が何かを隠していたのは本当?
A3. 当時のソ連当局が情報を隠蔽したことは事実でしょう。ただし、それは「事件の犯人が軍だったから」ではなく、単純に「自分たちの管理区域内で起きた不名誉な事故」を公にしたくなかったから、あるいは偶然近くで機密実験を行っていたため、その情報が漏れるのを恐れたから、という見方が一般的です。政府が真犯人を知っているというよりは、事なかれ主義が生んだ隠蔽工作だったのかもしれませんね。
ディアトロフ峠事件のマンシ族犯人説が否定された理由
マンシ族犯人説が最終的に退けられた背景には、当時の法医学や地質学的な根拠だけでなく、文化人類学的な視点も大きく関わっています。マンシ族はもともと平和的な民族であり、ロシア人登山客を襲撃するような動機はどこにもありませんでした。彼らにとって、ソ連当局という巨大な権力と対立することは、自分たちのコミュニティを危険にさらす以外の何物でもなかったからです。
さらに、彼らが「ホラート・シャフイル(死の山)」を神聖視していたという話も、実は捜査当局の誤解が含まれていました。現地のマンシ族にとって、この山は単に「獲物がいない、不毛な山」という意味でそう呼ばれていただけであり、宗教的に立ち入りを禁じられた場所ではなかったのです。むしろ、捜索が始まってからは、マンシ族のハンターたちはその卓越した追跡能力を活かして捜索隊を全面的にサポートし、遺体の発見に大きく貢献しました。
このように、マンシ族犯人説は「見知らぬ異文化への恐怖」と「説明のつかない怪奇現象への答え合わせ」として生み出された悲しい冤罪に近いものでした。現在のロシアでも、彼らの名誉は完全に回復されており、事件の真相はあくまで「特異な自然条件が重なった不幸な事故」として捉えられています。偏見がいかに真実を歪めてしまうか、この事件はその教訓も教えてくれているような気がします。
ディアトロフ峠事件のマンシ族犯人説に関するまとめ
さて、長らく語り継がれてきたディアトロフ峠事件のマンシ族犯人説、その真相について私と一緒に見てきましたが、納得いただけたでしょうか?1959年に起きたこの悲劇は、今や科学の力によって、そのパズルのピースが埋められつつあります。もちろん、放射能の出所や一部の証言の食い違いなど、依然として100%解明されていない部分があるのは事実です。でも、それがまた、この事件を永遠のミステリーとして輝かせている理由なのかもしれませんね。
「マンシ族が犯人だった」という説は、当時の人々が抱いた恐怖の象徴だったのかもしれません。しかし、真実はそれよりもずっと静かで、かつ残酷な自然の力によるものでした。登山隊の9人が、最後まで仲間を助けようと極寒の中で奮闘した痕跡を思うと、単なる都市伝説として片付けるにはあまりに重い、人間の尊厳を感じる物語でもあります。この記事が、あなたの抱いていた疑問を解消する助けになれば、管理人としてこれほど嬉しいことはありません。
※注意点
この記事で紹介した数値データや気象条件、科学的な見解は、現在公表されている資料や研究報告に基づく一般的な目安です。1959年当時の状況を完全に再現することは不可能であり、諸説あることをあらかじめご了承ください。より正確な学術的・歴史的情報を知りたい方は、専門の書籍やロシア国立のアーカイブ、公式な研究サイトをご確認ください。また、最終的な真相の判断については、ご自身で複数の情報を精査し、慎重に行われることを強く推奨します。